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身の丈にあった毎日を送りたい。

26歳独り身OL。身の丈にあった毎日を送りたい。

新居を大掃除。

諸事情によりクリーニングが入らないので、暇な時間を使ってお部屋をとにかくぴっかぴかに磨いてきました。

シンクも、窓も、玄関のタイルも、フローリングも壁もトイレもお風呂も!

一日かけて大掃除です。

激落ちくん大量消費。キングダブルさんにはいつもお世話になっています。

お掃除のいいところは、成果がちゃんと見えることと、気分がすっきりすることですね。

物がなくてさっぱりしたお部屋の中で、さっぱりと生きています。

でもせめてバスマットは必要かなあと新生活に必要なものを考えてみたり。

新しい毎日、楽しみます。

新生活の準備。

 

いろいろなものを買いつつ、うーん……と迷う日々です。

洗面器。ローテーブル。包丁。カトラリー。カーテン。

なにかぴったりな物を探しつつ、そんなに簡単に出会えないので、無くてもいいかなあと思いながら生活しています。

必要になったら買えばいい。必要になるまでは無くていい。

そんな立ち位置で、ゆっくりのんびり生きていきたいと思います。

 

 

引越しは大仕事

一気に疲れが襲って来ましたが、まだ引越し作業は途中段階です。

いろんな契約。物を選ぶ、買う、ということ。

最近買うのにとっても時間をかけてスローペースでいたので、一気にいろいろ買わねばならない状況は少し疲れました。

でもお気に入りのものを、という気持ちは大切に、じっくり新しい生活と向き合っていきたいと思います。

お引越し前のわくわく。

 

先日探しても見つからず、捨てたかな。と思っていた無印のメジャー。

発見しました(笑)

あー、なるほどこっちの引き出しだったか、と納得して、わかりやすい場所に置いて一安心です。これからお引越しがあるので、メジャーは欠かせません。

新しいお部屋はどんな風にしようかな。と新居の様子を思い描いてはわくわくしています。

お気に入りの家具だけの、お気に入りのお部屋。

新生活のワクワクですね。

探し物は何ですか。

 

しみじみと思うのですが、何時間も物を探さないって本当に素晴らしいことです。

 

部屋が汚かった頃は、毎週何かを大捜索していた気がします。
就活の時に必要な昔の資格証書。ネックレス。体温計。デジカメの充電ケーブル。そんな小さな物から大きな物まで、ありとあらゆる物を探して何時間も何日も浪費してきました。
漫画が一冊だけ見当たらなくて足の踏み場がない部屋を探して、探して、馬鹿らしくなって本屋で買ってきたこともありました。
自分が持っている物を把握しきれていないために、ボールペンもクリアファイルもノートも何冊も買って、中途半端に使ってばっかりで、使い切った思い出がほとんどないほどでした。どこにあったっけ、と汚い部屋を見回すのは途方もない高い山を登るような物で、あるかも分からない家電の保証書を探していらいらしながら不要物の山を漁っていたわたしはなんだったのでしょう。
今思うと悲しいくらい滑稽です。
捨てて、捨てて、ちょこっと売って、捨てて捨ててようやく常に床のある生活になりました。

 

今でも、物を大捜索することはあります。
あれ、無印で買ったメジャーがあったはずなのに・・・?と今日は机の引き出しとドレッサーなどをごそごそ漁りましたが、トータル15分くらいで「うーん、無い!捨てたかな!」とさくっと結論が出ました。
探した→無い→家族に借りよう、とするっと結論が出て、するっと行動して父にメジャーを借りて計って、父にメジャーを返してすべて解決です。とっても明快。

物を捨てたことで、何か必要なときに「あ、それ捨てたやつだ」と思うことはもちろんあります。
でも、それは後悔ではなく、むしろそれを「持っていない」とはっきり認識するので、じゃあどうしよう?という建設的な考えに向かいやすいです。これはすごい。
あるか分からない。この部屋のどこかにあるかもしれない。無いかもしれない。その計り知れないストレスは恐ろしい物です。
トレジャーハンターかなってくらい何度も部屋を大捜索してきたあの頃よ、さようなら。
片付けのパワーはすごいです。

 

でも、15分探すのもちょっと大変だったので、もう少し総量規制を働かせて、完全に物を把握した生活になれればもっとこのストレスは減るんでしょうね。

今度引っ越す部屋では、すっきりさっぱり、暮らしたい物です。

不安に襲われる春。

春はとても怖い。

わたしはいつも春が苦手で、恐れている。そこには漠然とした未来への不安と、新しい生活への恐怖が待っている。

希望もある。新しい生活。お給料。安定。忘れてない。けれど、どうしても少しの恐怖が耐えきれずに心を脅かしている。

不安は冷えと似ている気がする。感覚の話だけれど、とても冷たい。

精神的にぐらぐらしているのがわかるから、何かとても怖い。

どっしりと心が安定したわたしになれるのはいつの日なのか。暖かくして今日はおやすみなさい。

食欲だと思っていたもの。

 

本日お昼。不思議な体験をしました。

11時半ごろ、立ち寄った本屋でふらふらと本を見ているときのこと。

なんかお腹すいたなーって思ったんですよね。しかも、「ぐううううぎゅるるる」とすごい音を立ててお腹が鳴りました。静かな本屋で。本屋で……。

うわ、恥ずかしい、お昼何かしっかり食べよう、と思いつつも、この本を買おうか暫く思案していました。15分程でしょうか。

その時に何度か、本当に何度かお腹が鳴るわけです。「ぐうううう」と周囲に聞こえる音量で。

恥ずかしいなあと思いつつも、結局本は買わずに帰ることに。店員さんに見送られつつお店を出て、その時ふと気づきました。

「あれ。そんなにお腹すいてない」と。

時計を見ると12時前。でも、お腹が鳴ったのにそんなにお腹がすいてないんです。

え、でも確かにお腹すいたなーって思って、しかも何回もお腹鳴って、恥ずかしい思いをしたのに!

ふわっと消えていった食欲を見送って、なんとなく呆然としました。

今まで、お腹が鳴るってことはお腹がすいていることだと思っていました。イコール食欲(食べたいと身体が思っていること)だと思っていました。

でも、本屋さんでふらふらしていただけで、こんなに簡単に、食欲が消えるはずはない。生命維持にかかわる欲求が消えるはずがない。

ということは。

 

これまさか、さっきわたしが感じたものは、食欲では、ないのでは?という結論に。

 

衝撃でした。

でもお腹すいてないんです。じゃあなんでお腹鳴ったの!まさか体内時計の時報!?時報なの!?と自問自答して今に至ります。

食欲と思っていたものが、まさか自分の身体の「時報」かもしれない……。

何かすっきりしたようなすっきりしなかったような思いを抱きつつ、お腹がすいてどか食いしたいときはとりあえず15分くらい待って、自分のお腹に「それ時報?」と聞いてみることにします。

時報」と「食欲」を見分けられるようになりたい……。そんな不思議な体験でした。